サムスピの謎 右京さんは本当に結核なのか?

 格ゲーとは、数あるゲームのジャンルの中でも、説定に謎の生じやすいジャンルである。これは、大して説定を固めなくてもゲームとして成立するから、というのが理由の一つである。特に平成初期、「ストリートファイターⅡ」が大ヒットしてしばらくの間は「とりあえずキャラを作って出し、後から細かい設定を考える」というのが普通であった。分かりやすい例で言うと、現在我々が「シャドルー四天王」と呼んでいるバイソン、バルログサガット、ベガの四名(サガットが途中で抜けて代わりにファンが入ったが)のうちベガを除く三名は、別に当初はシャドルーの構成員という設定は微塵も無く、プレイヤーが勝手にそう勘違いしたのが公式化されただけである。また、同シリーズにおいては剛拳の存在や殺意の波動の詳細等、ある意味公式二次創作とも呼べる漫画版から逆輸入された要素も多い。

 さて、格ゲーの中でも設定の多い我らがサムスピシリーズにおいても、謎の多さは例外ではない。その中でも特に我々を困惑させ続けて来たのが、今回扱う「右京さんこと橘右京は本当に結核なのか?」である。おさらいとして簡単にまとめると、右京さんは神夢想一刀流という居合の使い手で、想い人・圭の為、或いは己の居合を極めんが為に旅をしている、自称不治の病を患っている人である。実際の性能はというと、ダイヤグラムや実戦値を含めたキャラランクのいずれにおいても上位に位置する事が多く、特に「真サム」においては中段攻撃と飛び道具を同時に発動する技、「燕返し」が猛威を振るい稼働からの三十年間最強どころか最狂の座をほしいままにしている。お気付きになられた人も居ると思うが、公式の文言においても、「結核」とは一言も言っておらず、あくまで「不治の病」なのである。よって、筆者・太刀川斬太郎は格ゲーにおける他の病人や現実において結核を患いながらもそれを克服し大成した人物を参考に、結核以外の病気の可能性も考慮しながら謎の病人・橘右京について考察する事にした。

ケース1・北斗神拳伝承者候補トキの場合

 漫画「北斗の拳」及びその格ゲー版に登場するトキは兄弟弟子の中で最強の実力者でありながら世界が核の炎に包まれた際に被爆し、北斗神拳の正統な伝承者になれなかった人物である。特に格ゲーマーの間では有名過ぎてわざわざ説明するのもどうかと思うが、核シェルターが定員オーバーの為(アニメ版では扉の故障、外伝ではシェルターそのものではなくシェルター行エレベータの定員オーバーが理由)自ら外に出て扉を抑えた。この時に浴びた死の灰は常人の致死量の数億倍との計算もある。その後のトキの活躍であるが、まずモヒカン等は相手にならず、二度に及ぶラオウとの戦いではパワーもスピードも衰えておらず、どちらかというとスタミナ切れで負けているような印象を受けた。セガによる格ゲー版ではスタミナの概念が無いため、北斗無想流舞、通称ナギを始めとするぶっ壊れ技の数々で暴虐の限りを尽くし、世紀末の荒野をラオウサウザー以上の恐怖で支配した。さて、そんなトキの病状であるが、異常な速度で老化が進んでおり、カサンドラから救出された直後は歩くのもやっとで矢鱈と咳込んでいたが、原爆症に見られる脱毛や白血病のような症状は特に見られず気付けば病人である事を忘れる程元気になっていた。これには大きな理由が二つあり、一つは人体を強化する秘孔がある事、もう一つはトキには北斗宗家の血が流れている事である。前者については副作用の激しい心霊台や刹活孔以外にも、天才アミバ様が秘孔によって自身や木人形狩り隊のハブ達の体を更に強靭にしている事から効果の種類や程度が様々な秘孔がある事、そしてトキも自身にそれを使っている事が推測される。後者については第二部で発覚し、トキの異常なしぶとさ以外にも、ケンシロウの公式プロフィールに書かれている「3ヶ月間食べなくても体力が衰えない」なる文言やラオウが度々炎に包まれながらも一切火傷を負わなかった事、そしてこの三名と宗家の血を引いていないジャギの無惨な実力差の説明となっている。これらの事例と、前にも述べたストリートファイターシリーズを始めとする格ゲーが北斗の拳の影響を強く受けている事を踏まえると、「格闘漫画やゲームには難病を跳ね退ける秘術や血統が存在しても全くおかしくない」と見ていいだろう。

ケース2・中村天風の場合

 トキとはうってかわり初めてこの名前を見る人も多いと思うので、より丁寧に説明する。中村天風は本名を三郎と言い、1876年に東京府豊島郡王子村、現東京都北区王子に生まれ、日露戦争においてスパイとしてハルビン方面で活躍した。露兵に捕まり処刑されかけるも脱出して生還し、日本陸軍の命で朝鮮総督府高等通訳官の任に就いた。問題はそれからである。なんと中村は着任後わずか3ヶ月で発病し、当時まだ不治の病であった結核と診断されてしまう。そこで中村はオリソン・マーデンを始めとする思想家や哲学者を訪ね世界を歩いた。そして1911年、結核の診断を受けてから5年後にエジプトでインドのヨーギー、カリアッパと出会ったのだ。彼に導かれ、中村はヒマラヤのカンチェンジュンガ麓ゴルケ村にて2年半程の修行の後、なんと結核を治してしまったのだ。中国経由で日本に帰国(ついでに辛亥革命に参加)し、現在の三菱銀行の頭取を歴任した後、病人や貧乏人を救うべく統一哲医学会、現公益財団法人天風会を1919年に設立。1968年に92歳で大往生を遂げた。ここから、「結核の治療法が確立される前の時代であっても、然るべき場所で然るべき事をすれば克服が出来た」という事が分かる。尚、先述したカリアッパなる人物は正体どころか実在性が疑われているが、中村がヒマラヤで結核を治した事は事実なので無視する。

・で、右京さんはどうなのかというと・・・

ここまで分かった事を総合すると、右京さんも神夢想一刀流に伝わる秘術を用いて結核の進行を抑えている・・・と言いたいところだが、不自然な点が一つある。それは右京さんの周囲に、他に結核になっている人物が居ない事だ。結核は空気感染するものなので、右京さんだけというのはおかしい。それに、いくら格ゲー補正があるとはいえジャンプして中段と飛び道具を同時に発射出来る人間が秘術等使えば、結核ぐらいたちどころに治りそうなものである。おそらく、我々が兼ねてより右京さんに感じていた違和感の原因はここらへんにあるのではなかろうか。その謎を解く鍵は、右京さんの武器にあった。そう、無銘・自作である。日本刀というものは只の鉄の棒ではないので、絶えず手入れ、場合によっては打直し、焼直しが必要である。その過程で粉塵が喉や肺に侵入し、激しいチャンバラによって右京さんは血を吐いていたのだ。では何故我々は右京さんが結核だと思い込んでいたのか?それは右京さんがイケメンだからである。結核患者というのは胴は痩せ、顔は赤くなるので耽美的に描かれる事が多い。実際、平手造酒(こいつも実在したか疑わしいが、一応千葉に墓がある)等の剣豪も、後世の創作で勝手に結核にされている。

まとめ:右京さん程の豪傑が結核を克服出来ないのは不自然なので、咳や吐血の原因は刀の手入れの際の粉塵である